『さよなら渓谷』以来となる吉田修一×大森立嗣のタッグが実現 「世界は美しいのだろうか」ー今、私たちは真実に目覚める 『パレード』『悪人』『横道世之介』『怒り』など数多くの小説が映画化されてきたベストセラー作家、吉田修一。多様なジャンルの話題作、問題作を世に送り出し、近年も『MOTHER マザー』『星の子』で絶賛を博した大森立嗣監督。モスクワ国際映画祭審査員特別賞ほか国内外で賞に輝いた『さよなら渓谷』以来、10年ぶりに両者のタッグが実現した『湖の女たち』は、全編にわたって観る者の理性と感性を激しく揺さぶり、比類なき衝撃的な映画体験をもたらすヒューマン・ミステリーである。 琵琶湖近くの介護療養施設、もみじ園で100歳の老人が不審な死を遂げた。殺人事件とにらんだ西湖署の若手刑事、濱中圭介とベテランの伊佐美は、容疑者と見なした当直の職員・松本への強引な追及を繰り返す。その捜査の陰で圭介は妊娠中の妻がいながら、取り調べ室で出会った介護士、豊田佳代への歪んだ支配欲を抱き、佳代も極限の恐怖のなかで内なる倒錯的な欲望に目覚めていく。一方、東京からやってきた週刊誌記者、池田は、17年前にこの地域で発生した薬害事件を取材するうちに、もみじ園で死亡した老人と旧満州との関連性を突き止める。時を超えて浮かび上がったその新たな謎は、いかなる真実を導き出すのか。そして厳かに静まりかえった湖のほとりで、後戻りできないインモラルな関係に堕ちていく圭介と佳代の行く末は……。 不審死事件をきっかけにあぶり出される、現代の黙示録 人は罪を犯し続ける、そして人は人を愛し続ける 介護施設での不審死事件を発端に、想像もつかない方向へとうねり出す物語は、重層的な構造と壮大なスケール感で観る者を圧倒する。その主人公である圭介と佳代は、刑事とその取り調べ相手という形でめぐり合い、支配する者と支配される者の危うい関係を深めていく。自らを破滅へと追いやるかのように密会を重ねるふたりの行動は、ひたすら淫らで不可解ですらあるが、一心不乱に互いを求めて貪り合うその姿は、闇夜の湖畔で艶めかしい“生”の輝きを放つ。登場人物の弱さと切なさ、愚かさと愛おしさ、汚れとイノセンスの両面をまっすぐに見すえたその描写は、あらゆる観客に人間という存在の本質を問いかけるかのようだ。 さらに本作は週刊誌記者、池田の視点で進行するパートで、驚くべき広がりを見せていく。もみじ園の不審死事件と17年前の薬害事件の背景を探るその物語は、戦時中に旧日本軍731部隊が悪名高き人体実験を行っていた満州ハルビンへと行き着く。あたり一面に幻想的な銀世界が広がる平房湖の湖岸で、ある日本人女性が目撃した恐るべき出来事とは何なのか。やがてその歴史の暗部がえぐり出され、生産性至上主義の優生思想に基づく現代の非道な犯罪と結びついたとき、私たちはそれぞれの時代に葬られた罪の重さと、人間が背負う原罪について思いを馳せずにいられなくなるのだ。 社会通念を逸脱した難役に挑んだ福士蒼汰×松本まりか 実力派キャストが魅せる凄み、そして見事なアンサンブル 本作のもうひとつの主役は“湖”である。劇中で描かれる事件や性愛のかたちは陰惨でグロテスクだが、現代の琵琶湖も戦時中の平房湖もさながら神のように沈黙を保ち、深遠なる神秘性を湛えている。そんな内に闇を抱えた人間たちと悠久なる自然が織りなす鮮烈なコントラストには、「この世界は美しいのだろうか」という作り手たちのメッセージがこめられている。バッハのヴァイオリン曲「シャコンヌ」の切り裂くような旋律をフィーチャーし、ひと筋の希望のありかも模索する本作は、まさに“現代の黙示録”と呼ぶにふさわしい破格のミステリー映画として完成した。 この野心的なプロジェクトのダブル主演を務めたのは福士蒼汰と松本まりか。本作で演じた圭介と佳代は、道徳的な通念を踏み外していくキャラクター。その身も心も剥き出しでさらけ出す覚悟を要求される難役を渾身の演技で体現したふたりは、「役者人生におけるターニングポイントと呼べる作品になった」(福士)、「あの強烈な映画体験は、生涯この身体から離れることはない」(松本)と撮影での希有な手応えを振り返っている。 また、薬害事件のトラウマを引きずる圭介の先輩刑事、伊佐美に扮した浅野忠信が、ただならぬ凄みに満ちた存在感を発揮。そして福地桃子、財前直見、土屋希乃、穂志もえか、三田佳子が、幾多の謎や罪に触れる“湖の女たち”を演じ、このうえなく濃密でスリリングなアンサンブルを披露している。
琵琶湖にほど近い介護療養施設・もみじ園で、市島民男という100歳の老人が不審な死を遂げた。死因は低酸素脳症。市島の命をつないでいた人工呼吸器は、異常を検知するとアラーム音が鳴る仕組みが何重にも施されており、機器に不具合があった可能性は極めて低い。西湖署の若手刑事、濱中圭介(福士蒼汰)とベテランの伊佐美佑(浅野忠信)は殺人事件とにらみ、当直の介護士ふたりと看護師4人への事情聴取を行う。その対象のひとりである介護士、豊田佳代(松本まりか)は、圭介の鋭くも異様な陰りを帯びた視線と威圧的な口調に華奢な体を強張らせた。 伊佐美は介護士の松本郁子(財前直見)への疑いを強めていく。圭介は真面目で犯行動機も見当たらない松本をシロだと感じたが、気性の荒い伊佐美は「誰かが犯人なんや。なら松本でいいやんけ。お前、ほんまアホやな!」とまくし立て、圭介の頭をひっぱたく。先輩である伊佐美のパワハラじみた指示に盲従する圭介は、無言でうつむくばかりだ。 その捜査の陰で圭介は、出産間近の妻、華子(北香那)がいる身でありながら、いつも自分に対して極度に脅えたような反応を見せる佳代への歪んだ欲情に駆られていく。ある夜、衝動的に佳代の家に向かった圭介は、おそるおそる玄関から出てきた彼女ににじり寄り、「ゆえや、会いたかったって」と一方的にサディスティックな言葉を投げつけた。 伊佐美と圭介による松本への追及は苛烈さを増していった。ついには「施設の待遇に不満を抱き、その恨みを晴らすために市島を殺害した」というでっち上げの調書へのサインを迫る。連日長時間におよぶ恫喝まがいの取り調べに憔悴した松本は、署からの帰りに衝突事故を起こして病院送りになった。 この事故をきっかけに刑事たちの暴力的な取り調べの実態が表面化し、西湖署には大勢のマスコミが押し寄せてくる。しかし署のメンツにかけても、事件の迷宮入りは許されない。伊佐美と圭介は痛々しい姿で退院した松本をさらに厳しく締め上げるが、松本はいわれなき罪を断固として認めなかった。一連の捜査でストレスをため込んだ圭介は、佳代への理不尽なつきまといを繰り返し、佳代もまたその極限の恐怖のなかで、内なる倒錯した欲望を覚醒させていく。 その頃、東京からやってきた若い週刊誌記者の池田由季(福地桃子)は、17年前にこの地域を揺るがした薬害事件を取材していた。製薬会社MMOの血液製剤が50人もの命を奪ったその事件は、大物政治家の圧力によって立件が見送られた。捜査に全力を尽くした西湖署の刑事たちは、無念のあまり泣き崩れたという。若き日の伊佐美もそのひとりだった。 池田は一枚の写真を手がかりに、MMO薬害事件ともみじ園で亡くなった市島民男との意外な結びつきを突き止める。それは17年前にある医療法人に勤めていた市島と、薬害事件に関わった複数の重要人物が、戦時中の満州でつながっていたという驚くべき事実だった。満州で人体実験を行っていた旧日本軍731部隊の戦争犯罪を裁くハバロフスク裁判の音声記録には、研究員だった市島の名前が登場する。市島は731部隊の一員だったのだ。 MMO薬害事件は731部隊の生き残りが起こした新たな人体実験だったのか。市島は口封じのために殺されたのか。その真相を追う池田は、市島の妻、松江(三田佳子)のもとを尋ねた。重い口を開いた松江は、終戦の前年の冬に経験した生涯忘れえぬ出来事を語り出す。当時22歳で夫の民男とハルビンで暮らしていた松江(穂志もえか)は、あたり一面が銀世界の平房湖で、大きな羽を広げた丹頂鶴が舞う幻想的な光景に息をのんだ。「世界はこんなに美しいんかと思ったら、涙が止まらんようになって」。そう述懐する松江は当日、白衣を着用した少年3人を含む5人の子供が一列になって平房湖を横切る姿を目撃した。その後、湖岸のボート小屋でロシア人少女と日本人男児の遺体が発見されたという。 西湖署の捜査が袋小路に迷い込むなか、事態は思いがけない急展開を見せていく。もみじ園からさほど遠くない別の介護施設で、92歳の女性が市島とまったく同じ状況で死亡したのだ。 事件が連続殺人の様相を呈するなか、池田はYouTubeに投稿されたある奇妙な動画を端緒として、もみじ園の介護士、服部久美子(根岸季衣)の孫である三葉(土屋希乃)という中学生の少女の存在に行き当たる。アイドル風の愛くるしい容姿をした三葉は、なぜか白衣をまとって生物部の取り巻きの男子4人を引き連れ、琵琶湖のほとりでバードウォッチングに熱中しているという。そんな三葉は、かつて世間を震撼させた障害者施設での大量殺人事件の記事へのリンクをSNSに投稿していた。現代の琵琶湖と松江から聞いた旧満州の平房湖が“白衣の子供たち”のイメージによって重なり合い、池田は得体の知れない戦慄を覚える。 一方、人知れず密会を重ねてきた圭介と佳代は、欲望の赴くままに支配する者と支配される者のインモラルな行為をエスカレートさせていた。それは誰にも肯定されるはずがない破滅的な関係だったが、互いへの依存を深めたふたりは後戻りもできない。もはや行き場を失った圭介と佳代は、ちっぽけなボートで厳かな静寂に満たされた真夜中の琵琶湖へと漕ぎ出していくのだった……。